釈尊は我等が父母なり 一代の聖教は父母の子を教へたる教経なるべし

2016年7月19日

本尊 釈尊は我等が父母なり 一代の聖教は父母の子を教へたる教経なるべし

 このおことばは、文永六年(一二六九)大聖人さま四十八歳の時、京都留学中の三位房日行に与えられた書状の一節です。

 この御書は、大聖人さまが弟子に対し、人々に説法する場合の方法や日々の心得等を教示されたことが、三位房の書簡に答えるかたちで示されています。

 他宗を破折するにはどのように説法すればよいかという三位房の問いに対し、まず最初にお釈迦さまは私達の父母であり法華経は一切経の中の真実経であることを決定し、相手に認めさせることを教えられました。

 譬諭品第三の中に「今此の三界は皆是れ我が有なり、その中の衆生は悉く是れ吾が子なり」とありますがこの経文で、お釈迦さまが私達の親であることが定められています。お釈迦さま以外のどの仏さまが私達の父母でありましょうか。

 お釈迦さまは私達の父母です。したがって、お釈迦さまご一代の教えは、父母が子を導くために説かれた教経であり、その中の実語が法華経なのです。

 お釈迦さまと私達が「親と子」の関係にある。三界(欲界・色界・無色界)を流転する迷える私達がお釈迦さまの子であるということに大いなる慈悲を感ぜずにはおれません。そして私達は、本仏釈尊が自分を救ってくださるという確信をもってお題目を唱えることにより、感謝とよろこびにあふれた真の信仰を見出すことができるのです。

解説:門谷東生
(布教誌『宝塔』に連載中の「日蓮大聖人聖訓カレンダー解説」より)

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