南無と申す字は 敬ふ心なり 随ふ心なり

2023年3月1日

 「南無」とは古代インド語の「ナーム」の音写で、意味は我が心身を帰命し奉ることであります。大聖人は、この聖語では具体的に「敬う心なり随う心なり」と教えられました。
 現代は知識の氾濫、情報過多の時代と言われております。今までに知識・情報がこれほど豊富な時はありませんでした。しかし権利主張、責任回避の多い現代人の考え方は断片的で全体をみる総合判断に欠けるようです。やがて互いの不安・不信の風潮となる訳です。その原因は一体何なのでしょうか。それは「敬う心・随(従)う心」が薄れてきたからです。現代の日本人から失われつつある一番大切なものがこの心です。逆に今アメりカ社会が日本の敬う心・従う心を学ぼうとしております。
 お題目を唱えさせて頂く私達は「敬い従う南無の心」を忘失してはなりません。お自我偈の中に「質直にして意柔軟に、一心に仏を見奉らんと欲して自ら身命を惜まず」と説かれ、又「衆生の恭敬し信楽する者あれば我また彼の中に於て為に無上の法を説く」とあります。私達が本門のお題目に南無するとき、折にふれ、縁にふれて一番ふさわしいお導きを信解させて頂くのであります。
 大聖人は「信なくして此経を行ぜんは手なくして宝山に入り、足なくして千里の道を企つるが如し」と教えられました。

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