父母の恩の中に 慈父をば天に譬え悲母を大地に譬えたり

2017年7月1日

「私たち現代人は徐々に、何もかもを貪(むさぼ)り尽くす獰猛(どうもう)な動物へと退化しているのかも知れない」-近代以降の目を瞠(みは)るような文明の進歩とは裏腹に、そのような憂慮が脳裏を掠(かす)める瞬間があります。
 大聖人は、「父性」の存在しなかった「三皇(中国古来の伝説上の三天子。伏義(ふつぎ)、神農(しんのう)、黄帝(こうてい))」以前の世の中では、理性が発達せず、人が皆、禽獣(鳥と獣)同然であったことを教えられています。現代の世相の荒(すさ)みの底辺にあるものを探った場合、重大な示唆を与えるお言葉のように思えてなりません。
 およそ人間が成熟するためには、「父性(厳格性)」と「母性(抱擁性)」の二つの愛情が注がれなければならないことが知られております。そして、釈尊は、高次の父性を〈安らぎを与える(与楽)、いつくしみ(慈)〉、母性を〈苦しみを除く(抜苦)、思いやり(悲)〉、この二つが相俟った「慈悲」を至上の愛情(親ごころ)と教示されております。
 天地の恵みがなければ私たちは生きていけません。私たちの人間性を培う、父性と母性、父と母の恩は、あたかも天地のごとく崇高であることを、今月のご聖訓は示されているのであります。
 さらに、私たちは、全ての生命に大慈大悲、窮極の親ごころを注がれる存在が、主・師・親の三つの徳を円満に備えられた本門のご本尊、本仏釈尊であることを、噛みしめなければなりません。

「日蓮大聖人聖訓カレンダー解説」より

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